ついにこの日がやってきた、と思ったか思わなかったかは今となっては覚えていない。

2015年初秋。
台湾でのワーキングホリデーを終えて日本に帰国していた私はその日、神戸のステーキ店にいた。
テーブルを囲んでいるのは私の他、私の両親、ゴリ男、そしてゴリ男の父。
私とゴリ男の結婚が決まったため、一度両家顔合わせをすることになり、ゴリ男とゴリ父が一緒に日本を訪れていたのだった。(ゴリ母は持病による体調不安で来日せず)

ゴリ父とはワーホリ終了前に台湾で数回会っていたため、私とは初対面ではない。
ゴリ父がどんな人か簡単に補足しておくと、「パワー系」である。
体格などのことではなく、人間的なパワーが強いという意味だ。
元外交官という華麗な経歴を持ち、恐ろしく多趣味で精力的、空気を読まずに我が道を行くわりに神経質で、冗談が通じないがんこおやじ。
私がこれまでの人生で関わったことがない系統の圧のある人物で、世代的なギャップを度外視しても何だか波長が合わず、少し苦手だった。
しかし日本が大好きだというゴリ父。
そんな人に訪日中に嫌な思い出を作らせたくないし、最大限のもてなしをせねばと私は気を張らせていた。
集まった5人の中で、日本語と中国語両方が話せる人間は私一人しかいない。
両家のコミュニケーションが円滑にいくかどうかはすべて、私の手にかかっている・・・そう思うと重圧で食事前から胃の内容物を吐き出しそうだったが、持ちうる力をすべて出し切ってこの場を乗り切るぞと自分に喝を入れ、鼻息荒くステーキ店の暖簾をくぐったのだった。

しかし、思い通りに事が進まないのが人生である。
簡単な挨拶と料理のオーダーを終えた5人が座るテーブルは、風が止んだように静まり返っていた。
誰も、喋り出す者がいない――。
ゴリ男はもともと口下手なタイプであったが、さらにこの日は異国のアウェー環境に加えて初対面の私の両親を目の前に緊張しているようで、究極に顔をこわばらせて押し黙っていた。
ゴリ父も異国での異国人との顔合わせというめったにない状況で身の置き方に迷っているのだろう、誰かが話し出すのを待っているようだった。
気のいい店員が、二人が台湾人だということを知って「ここ、以前台湾人歌手の◯◯さんが来たことがあるんですよー」とサイン色紙を持ってテーブルまで見せに来てくれたのだが、緊張のためかゴリ親子は「あぁ」と非常に薄い反応しか見せず、あの時の店員の「え・・・?」みたいな困惑した表情を今でも忘れることができない。


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うちの父と母はどうかというと、ほぼゴリ親子と同じような状態になっていた。
私の両親も生来口下手で、コミュニケーション能力がとことん低い人達だった。普段からそんなんなのに、パワー系外国人おやじと対面すればことさら萎縮するのも無理はない。引きつった笑顔で話のきっかけを考えてはいるようだったが、口に出せずに沈黙していた。
ここは私が口火を切るしかない――そう思いつめもしたが、そんなコミュニケーション能力弱者二人の元に生まれた私はそれこそコミニケーション能力最弱のサラブレッド。簡単な通訳はできても、そもそもの会話力がなかった。
さらに私は、自分の家族との会話がこの世で一番苦手だった。うちは家族関係に少々問題があり、私と父親に至ってははかれこれ15年以上ろくに口を利いていないという末期的な関係だった。そんな宿敵ともいえる父親がすぐ隣にいる状況で明るくちゃきちゃきと場を取り持つなどというのは、私にとって未知への挑戦だった。
こちら側の家族間に限定してもコミニュケーションの難易度はSクラスだというのに、そこに緊張した外国人のおっさん二人を加えれば状況は最悪どころの騒ぎではない。コミュニケーション困難の無間地獄だ。

ドリンクが運ばれてきたところで乾杯をしたが、それが終わればまた無言の重苦しい空気が流れる。もともとアル中に片足を突っ込んでいる私の父親は、「飲まなきゃ死」といわんばかりの凄まじい勢いでビールを煽り始めた。

その後沈黙に耐えかねた私の母が「日本はどうですか?」という旨の質問をゴリ親子に遠慮がちに投げかけ、私の通訳者としてのタスクがようやく始まった。
しかしテンプレートのような質問に対して返ってくる答えというのもまたテンプレートのようなものであり、盛り上がりどころはなく、会話は大して続かない。
私の父親もゴリ男に「娘のどういうところがよかったのか」というテンプレートの質問を唯一したのだが、あろうことかゴリ男は「AKBにいそうな雰囲気」という非常識な上に褒めているのか貶しているのかわからない回答をし、場は凍りに凍った。
もうどうしようもないと思った。願わくば二度とこのように両家が顔を合わせる機会がありませんようにと、ただ祈ることしかできなかった。

神戸牛はさすがにどう食べても美味で、食事自体に関しては非常に満足してもらえたようだったが、結局最後まで全員の緊張が解けることはなく、大した内容の会話もないまま「では今後よろしくお願いします」と事務的なムードで顔合わせは無理矢理終結した。


死ぬほど気まずい時間に死ぬほど疲れたのは、私だけではなかっただろう。わざわざ日本まで来てくれたゴリ父には何だか申し訳ない気持ちで、私は凹んでいた。
ゴリ父はそんな私の気持ちを知ってか知らずか、最後に私に「楽しかったとご両親によろしく伝えてね」と言い、宿泊先のホテルへと軽やかな足取りで消えていった。
絶対に楽しくはなかったはずだが、まあこういうイベントはたとえ日本人同士であったとしても緊張してうまくいかないものかもしれないな・・・と思い込むことにして、私はこの日の記憶に鍵をかけた。
でも今こうやって文章にするために、すべてを思い出してしまった。死にたくなってきた。





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